夏がくれば思い出す
(今回は、少し湿っぽい話になるかもしれないので、あらかじめお伝えしておきます)
ジジイは、夏が、大好きじゃ。
熱中症の恐れがある猛暑!とさんざん脅かされるし、それはそれでわかっておるつもりじゃけれど、おおきな青空が見えたら外に出るのを我慢できない。そんな昭和の子じゃからな。
先日、仕事が迷宮から出てこないので、本来は机に向かって作業をするべきだったんじゃけど、あまりにも空が高いので、ついピクニック用チェアとテーブル(専用トートバッグに常時セット済み)と350mlの缶ハイボール3缶を持って、近くの公園に出かけていったんじゃな。昼はさすがに危険だと思ったので午後3時過ぎに。それでも十分に「夏」じゃったぞ。
ジジイは外でウダウダすることにかけてはベテランなので、このセットはマジでおすすめですよ。なにしろコンパクトとリラックスを両立できるので。
で、パソコンを持っていって作業する手もあったのだけど、この暑さの中でヒザに抱えて仕事するって…ただでさえ熱を持って大変なことになるのに…アホかと思って。
で、じゃあ仕事はきっぱりサボることに決め、かさばらない文庫本を持っていくことにして。近ごろ積ん読も多いから、どれにしようかな〜。
この季節、ジジイは「戦争」に浸ることが多い。
ま、そうすることが、必要なこと。あるときから、突然、そう考えるようになったからじゃ。
ジジイは…と言っても、もちろん戦後の子じゃ。育った1980年代ごろは雑誌『POPEYE』を読んでアメリカ文化やウェストコーストに憧れ、その延長線上で洋楽ロックに走り、自分が生まれる20年ちょい前に戦争があったことはぼんやりとした知識としては知ってたけれど、そんなクラ〜い話はNGってのがふつーじゃった。
授業でも昭和期は受験の時期とかぶってたので、ほぼ教えられることもなかったし、テストに出ることもほとんどなかったし。
そーゆーことがあったんだねー程度の認識じゃった。
が、子どもが生まれたとき、家族や先祖ということを意識し始めた。
知らんままではイカンのじゃないか。急に、そう思った。
考えてみれば、わずか数十年前のことじゃないか。そしてジジイの祖父は太平洋戦争の戦没者じゃ。終戦の年の1月2日にフィリピンはレイテ島の沖に沈んだ。生まれたひ孫たちも、ひいじいさんの血をつないでおる。そして、ジジイみたいに、先達が残してくれた礎を知らずに踏みつけるように育ってほしくはない。墓とか仏壇とかに手を合わせるとき、なんのイメージもないのはツライ。ということは、ジジイがちゃんと勉強して伝えるようにならなければならない。
ま、いちおう、そう思って遅い勉強を始めたんじゃった。
影があって日向がある
ジジイのクソガキ期、夏は友だちの伊豆の別荘に誘われて遊びに行くのが恒例じゃった。高原の家から、海への長い長い下り坂をクソガキ数名でギャーギャー言いながら下っていった。夏の日差しがアスファルトの地面を容赦なく熱していた。海岸に近づく曲がり角に小さな墓地があった。日差しと影のコントラストと蝉の声。
さらに昔。いまではジジイじゃが、そのころは小学校の低学年で、北と南とそれぞれ離れた両親の故郷に毎年夏は1ヶ月ほど預けられた。
じぶんで行動を規定できない頃じゃから、なんだかいろんな親戚?やら知り合いの家に連れてってもらった。
知らない家で飲む砂糖の入った麦茶。仏壇と、知らない人の遺影。和服だったり、学生服だったり。
学生服だったり!
なんだか、そんな日向と影のコントラストが、ジジイにとっては日本の夏のイメージじゃ。
いまでも、なぜか、心が惹かれるんじゃよな。
なぜジャニーズは男ばかりなのか
ソロピクニックに戦争関連の本を持っていって木陰で開きながら(といっても3ページ読んだかな?)、ふと、ジャニーさんは若くして戦争で命を落とした少年たちの慰霊のために事業をやっていたのでは?と頭に浮かんだのじゃ。
これは完全にジジイの妄想じゃが。
ジャニーさん自身、昭和6年生まれで、日本で育っていたら予科練の予備軍的な年齢。アメリカでは敵国民として収容所入りしてしまう時節なので、複雑な幼少期を過ごしていたことは想像がつく。
もう少し詳しく当時の事情を調べれば、ジャニーさんが置かれていた状況は理解できるように思う。
日本とアメリカに引き裂かれた物語は枚挙にいとまがない。
そして…帰国した日本では、ジャニーさんよりほんのちょっと年上のお兄さんたちが、生きて帰ることを否定されて飛び立っている。
終戦間際のそのころに至っても、アメリカでは娯楽映画がつくられていたらしい。詳しいことは後で調べるけど、そんな国と戦っても勝てないよな…と誰かが言ってた。
ジャニーさん、無念だったんじゃないかなぁ…。
『少年たち』の意味
いまのわれわれの想像力では追いつかないほど、敗戦は日本に強烈な影を落としたんじゃと思う。
だから、当時戦争で命を落としたくらいの年頃の少年たちを集めて、光を浴びる場所を作ったのではないか…と真剣に思えてきた。
つまり、ジャニーズ事務所というもの自体が、慰霊碑の意味を持っているのでは?と。
考えてみれば、現在これほどのマネージメント能力を持ったプロダクションを運営できているのだから、総合タレント事務所になっていても何の疑問もない。
ジジイはまだ詳しく知らないけど、ジャニーさんがこだわってた『少年たち』って舞台が、そのことを象徴するんじゃないか?って。
なんでも、ジャニーさんがずっとこだわっていた作品らしい。
家族が行くらしいから、聞いてみよう。
て、映画もあるのね?
夏だからこそ考えよう
ニノの『硫黄島からの手紙』には、ジャニーさんも達成感…というか、ようやく伝えられた感があったんじゃないか。
翔ちゃんの『ブラックボード』とか、この夏に見直してみたいな。
ほかにも、ジジイが観た範囲でも、ジャニーズが関わっている戦争関連の秀作は少なくない。
私は貝になりたい(中居くん熱演…これはめっちゃ悲惨…)
永遠の0(岡田准一くん鬼気迫る)
君を忘れない(木村拓哉くん…このポスターのキャッチ「ヒコーキに乗れて、女の子にモテる。そんな青春のはずでした。」めっちゃいいよね)
スパイ・ゾルゲ(本木雅弘くん…国のために…これかよ?)
さらに、ジャニーズものじゃないけどおすすめなのが
鬼太郎が見た玉砕~水木しげるの戦争~(これで香川照之氏を認識した)
日本のいちばん長い日(ジジイは古いやつのほうが好き…すごい映画)
さとうきび畑の唄(さんまなのに泣ける)
などなど、名作が多いが、
ウインズ・オブ・ゴッド
この作品、つい先日(といっても数年前)亡くなった今井雅之氏のまさに傑作で、これを大野智くんとMJでやってもらいたいんじゃな。これはたぶん最初は馬鹿にしつつも、ほんとうに胸に迫る作品。ジジイのキャスティング提案も、観てもらえばわかると思う。そして絶対に泣く。
どれもこれも、夏だからこそ、ぜひ観てほしい。とても「重要」な物語じゃ。
加えて、サトシの『今日の日はさようなら』の再放送と同時間にやってたドラマの原作漫画、これはものすごくものすごく読んでほしい。笑いも交えながら、戦争の、原爆の悲惨さが骨にしみてくるよ。
夕凪の街 桜の国
これNHKでドラマ化してて、川栄李奈ちゃんが、すげーいい演技してて引き込まれたわ…。
そして、靖国神社の遊就館には、太平洋戦争で命を落とした「英霊」の写真と戦没地などが資料として一覧できるようになっておる。これも、一度は見に行く必要があると思う。
また、ジュニア世代が徴用されていたことなども、知っておくのは無駄じゃないじゃろう。
彼らを愛する世代がこういう過去を記憶しておくことこそが、とても大切なんじゃないかと思うよ。
きけ、わだつみのこえ
そうじゃな…6日は広島原爆の日、8日にジャニーさんのお別れ会、9日に長崎原爆の日…。これって、ジャニーさんの遺言のようにも思えんかね?
※ジャニーさんのお別れ会は今月の8日じゃないかも…誤報かもしれません。
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