「だいじょぶだぁ」のはずだった
ここ数日、目が覚めるたび、まずネットニュースをチェックした。回復のニュースが読みたかった。そりゃないよ、志村園長。
せめて安らかに。
— アラジイ (@arazii_jp) March 30, 2020
今朝も、目が覚めてすぐ枕元のiPhoneを起こし、ヤフーニュースに目を慣らした。
志村けん
という文字が目に飛び込んできた。
その後に「回復」もしくは「退院」という文字が来るだろう、と勝手に思い込んでいた…というか、正確に言うと思い込もうとしていた…のだが、次第に文字に焦点が合ってくると、期待していたこととは真逆の現実が突きつけられることになった。
それからすでにかなりの時間が経っているけど、まだ心が立ち直ってない。
退院して記者会見で「だいじょうぶだぁ〜」という映像を想像していた人は少なくないだろう。
ご冥福を、ほんとうに心よりお祈りいたします。。。
「志村けん」とは何だったのか
急に「さん」とかつけるとボヤけそうなので、呼んでたままの名前で書きます。
ジジイはドリフ超オンタイム世代だが、志村のドリフ加入時は小学校高学年だった。荒井注が脱退したあと、なんだかいきなり若いのが入ってきた。
そしてジジイも中学に進み、それでも『8時だョ!全員集合』は観ていたと思うが、コントで卵をぶつけるとかが「ものを粗末にしている」とかで顰蹙を買っていた(という記憶がうっすらある)ことで親があんまり歓迎してなかったかな…くらいの記憶になっていた。なんとなくドリフ離れが始まっていったんだと思う。
『東村山音頭』が1976年というから、たぶん観てはいた。が、あの「小学生が熱狂するタイプのノリ」にはもうあまり興味を感じなくなっていたんだろう。色気づいて洋楽とかに走り始めたころだ。ジャンボマックスやヒゲダンスとかも友だちから聞いて、観て、知ったくらいの感じだったと思う。
でも『ドリフ大爆笑』は観てたけどね。
で、志村が個人での活動を中心にするようになってからは、ほとんどチャンネルを合わせることがなくなっていた。
また見かけるようになったのは、ほんとにここ数年、家族が嵐にハマり、『天才!志村どうぶつ園』を観るようになってからのような気がする。
そこでの志村は、まぁ年もとったこともあるだろうし、番組の特性的にも、おだやかでやさしいオジサン(オレから見たらおじいちゃんでは決してない)で、なんかいい雰囲気を醸し出していた。
その前後だったっけ。なんか若手芸人が志村から「家族が病気で」と嘘をついて金を借りたエピソードが出回って、のちにデマだったという話も出たけど、「よかった。病気の家族はいないんだ」と言ったとかいう美談がね、実際そんな人柄だったんだろうなーと今でも思ってる。
アズマックスのお父さんで早くに亡くなられた東八郎さんとのエピソードもステキだ。
なんでかわかんないけど、昭和の都市伝説みたいに有名な「志村!うしろ!うしろ!」についても、そんなのはよくあるシーンで、別に志村だけの専売特許でもないだろうに、ひとつの言葉として後世に伝わっている。
しかし、改めて系譜を確認していくと、実績はほんとにものすごい。
最後まで笑わせ、笑われ、世の人を楽しませた志村けんは、まさしく「天才!」に違いない。
相葉ちゃんはエンターテイナーとして
ジジイはここまで書いてきて、むしろ少し元気になってきた。
多くの人を笑顔にしてきた天才の足跡をたどってみて、いつまでも辛気臭い顔をしててはいけないなぁ、と思えてきた。
きょう生放送がある相葉ちゃんも、きっとコメントを求められたりするだろうし、コメントしている。当然気落ちしてもいるだろう。
でも、おそらく、たくさん志村さん(もう思い出になったから…さんづけにします)に言葉をもらっただろうし、生き様を見てきただろうから、いつもの笑顔の相葉ちゃんで生放送に臨むと思う。
(生放送じゃなかったね。テレビで気丈に振る舞う痛々しい相葉ちゃんを見なくてよかった…という声と、もし一人でいたら可愛そうという声があった)
それが師匠に対する恩返しだよ、とでも言うように。
志村さん、短い間だったけど、ありがとね。忘れないよ。また泣けてくる。
コロナが憎い。
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