9年目です
巷は依然としてコロナウイルス関連の話題が多い。
どこかのイオンでは「これでもかっ!」ってくらいの大量入荷と大量陳列で、お一人様10個までとか挑発的な(ナイスな)写真を見たから、もう沈静化してるもんだと思ったら、地元のスーパーじゃまだすっからかんだ。
聞くところによると、毎朝並んで買ってる高齢者が多いらしい。
が、そもそも紙類は静岡県ほか90%以上国内生産で、いまの「品薄」はデマに加えて配送が追いついてないからだとか。
慌てて買いだめしても、そのうち供給が追いついて、家庭内在庫が増えすぎて困らないかが心配である。
と、コロナ関連の話題で持ちきりだけど、東日本大震災から9年目の日がやってくる。
なんか、つい先日のような気がしてしまう。けど、この9年…と考えると、ジジイにもいろいろあった。時間は間違いなく流れている。
コロナも大問題だし、テレビは数字を取れる方に走るんだろうが、9年前の震災をちゃんと思い出すことが日本人にとってはことのほか大切なような気がするんだよな。
ジジイの、その日のおぼろげな記憶。書き残させてください。
あの日…渋谷にいた
わりと予定が詰まっていた日だったからよく覚えている。
午前中に…どこだったか湾岸地帯で新しいクライアントと顔合わせし、そのあと渋谷に移動して企画会議、終わったら夕方に横浜で打ち合わせの予定だった。
なんとなく空も青くて、春の予感で、新しいクライアントとの顔合わせもうまく行った感じで(正式なプレゼンじゃなかったけどけっこう乗り気の企画を話したんだよね)、その後、渋谷に移動し、企画会議の前に道玄坂のファーストキッチン?でケータイの充電ついでにコーヒーで一服して会議に向かった。
某ケータイキャリアのプロモーション企画の打ち合わせの最中だった。
1階の打ち合わせルームだったけど、
お、揺れてる?
と言い出してから、あっという間にかなりの横揺れになった。
とりあえず…というか、みんなで打ち合わせルームの机の下に隠れた。ちょっと気恥ずかしくもあった。
プロデューサーだったかが、ケータイを見ながら「震源は宮城県らしいです」と言った。
机の下から出ると、わりと新しい建物の壁にクラックが入っているようだった。すごかったねー、と言いながら、打ち合わせを再開しようとしていると、知り合いのプロデューサーが部屋に入ってきて、
全館避難です!
と、なんだか驚くほど硬い表情で言った。全館避難?という単語の硬さにも緊張感があった。
ジジイさん、一緒に避難します?
と言われたけど、夕方には横浜に行かなきゃならないので、
あ、大丈夫っす。
と伝えて、ビルの外に出た。
渋谷から原宿へ…刻々と深刻度が
その時点では、とりあえず少し早いけど横浜に向かうか…くらいに思っていた。
が、そのころまだ喫煙者だったので、公園で一服してから…と近くの公園に立ち寄った。
しかし、南平台の公園は、周囲のオフィスから避難?してきた人たちでぎっしりだった。
近くの建設中のビルの上に乗ってる重機が、余震でグラグラしている。
キャー!
という悲鳴が上がる。
尋常ではない…と、このときようやく悟った気がする。
何を思ったんだろう。そのとき、ジジイは原宿駅に向かった。横浜で打ち合わせをするスタッフと連絡が取れず…そうだ、そのスタッフの会社が原宿にあったんだ…ということで、場合によってはそこの事務所に向かうつもりで山手通りを北に向かった。
渋谷の駅が大混乱、という情報もあった。なので、横浜行きはナシでいいだろう、ということで、原宿駅に着いたのだけど、ケータイは通じない。が、Twitterはさまざまな情報を更新していた。家族の無事を代々木公園の電話ボックスに並んで確認した。電車は止まっているが、日本の首都の交通インフラだ。意外とすぐ動くんじゃないか?と期待して小一時間待った。
最初はタクシーも走っていたけれど
渋谷から歩きながら…タクシーも動いていて、そのころはまだ日も暮れてなかったし、高いカネを払いたくもなかったので、原宿駅で様子をうかがっていたら、周囲から
電車は当分動かないらしい
という声が聞こえてきた。と、その説がリアルに響く程度には、にぶいジジイですら
これは尋常ではないな…
と感じるようになっていた。
当時まだ使いはじめて間がなかったTwitterでは、しきりに情報が…デマも含め…流れてきた。
家まで歩くことを決意したら、山手通りとか甲州街道とか、大きな道路をたくさんの人が歩いていた。途中でコンビニに寄ると、水と少しの食料と、生命維持に取り急ぎ必要のないもの以外はすっからかんになっていた。
それでも、ラッキーなことに、バスの乗り継ぎ(当然めちゃくちゃ時間はかかった)が思いのほかうまくいき、地震発生から6時間後くらいには家についた。
家の被害は思ったより少なかった。
が。
そこではじめてテレビの映像を観た。
エンタメの意味
後日、『あまちゃん』でも描かれたが、こういう容赦のない災害のとき、エンタメはどうあるべきか、考えさせられた。
無力感…
エンタメ関係者だけでなく、被害が大きい地域から離れるほど、無力感に傷つく人は多かったんだと思う。
ACのぽぽぽぽーん!
が狂騒的に話題になったのは、あまりの無力さを感じると、人は少なからず狂うんだな、と。
わが家も、少し、狂いました。
そして、ジジイが当時思ってたのは、
嵐はどうしてるんだろう…
ということ。
当時、そこまでのファンとは言えなかったけど、そう思ったことははっきり覚えている。前日は木曜日で、『vs嵐』も『ひみつの嵐ちゃん』もあったからなのかもしれない。でも、そう感じたことは嘘じゃない。
いま、コロナがあっても、みんなエンタメの意味を認識してると思う。それは震災を経て僕らが得たことだ。
果てない空
あれからどれくらい経っていたんだろうか。
ニュースでも話題になったくらい、『ARASHI BLAST in Miyagi』は大騒動だったよね。
嵐が心を寄せる被災地に!というファンの思いが、報道を通じて伝わっていた。
ホテルや飲食店が時ならぬ「嵐バブル」で感謝カンゲキしている映像を思い出す。
ニュース映像のカットを思い出しても泣けてきそうだ。
うちの妻子も参戦したが、予算がカツカツだったので、ちゃんと被災地を歩いたりはできなかったらしい。
ジジイは仕事を与えられたりつくったりして数度足を運んだが、石巻駅前のラーメン屋で
前のオーナーが津波で亡くなってここを受け継ぎました…
とサラッと聞かされたときの衝撃が忘れられないよ。
だからこそ、あのコンサートを実施した心意気、そして
『果てない空』の歌唱を思い出すとね…嵐ってめっちゃいいな!って思うよね。
こう書いてても泣けてきそうだぁ!
そう、あの震災を忘れない、ってことは、嵐を忘れないってことでもあるんだよね!
今日は、献杯はしないよ。まだ先に進まなくちゃね。
東北に、旅しようぜ!