写真って?
ジジイは長くグラフィックを中心とした広告の仕事をしていて、文字を書く系(ブログやツイッターの記事は書き散らしなので!とか言い訳をする)なのでデザイナーやアートディレクターほどじゃ当然ないけど、カメラマンの方と多く仕事をさせていただいている。
その道では有名な方とも、何人か仕事をさせてもらった。
とはいえ、技術が見えやすいデザイナーとかと違って、カメラマンが人によってどう違うのか?は正直よくわかってなかった。
いや、いまだって半分わかったか。いやいや、半分にだって満たないかもしれない。
だって、それは、
写真って、真(まこと)を写す、って書くじゃん!
という観念に縛られてたからなんじゃないか?と最近ちょっと思う。
そうじゃないのかも?と思ったのは、それすらすでに10年以上前になるけど、ある広告仕事でスチール(静止画ね)写真の撮影に立ち会ったときだな。
そこそこでかいスタジオに、すごい勢いでライティング(光を作ることね)の仕掛けがしてあって、ちょっと、いや、かなり驚いた。
なんだろう…。秋田の竿燈まつりみたいにライティングしてて、現場責任者(いわゆるクリエイティブディレクター)としての経験が浅かったジジイは、
なにごと!
と驚いたのでした。
いや、声に出すとダサいので、心のなかで、だけどね。予算内に収まってれば、ま、OKだから…ん。
その経験もあって、写真とは、どうやら、真実を写す、って意味じゃないなー!と気づいたわけだ。
写真は、被写体の奥を探り出す行為なんだろうな。
そういえば、巨匠はタレントのポートレイト撮るときも、いい表情が撮れるようにトークスキルがすごいし、紀行写真は…写真家の知識の先にある風景を狙っていたのかも…とか思えてきたり。
写真の「真」とは、被写体の真をあぶり出す作業なんだな。
『浅田家!』を観て
そっかー。店頭で立ち見したのは、もう10年以上も前のことだったんだろうな。
木村伊兵衛賞…まさに劇中で
写真の芥川賞!
といわれる、いや、とてつもない賞ですよ。そのアオリがあったので、たぶん本屋の店頭でページをめくったんだと思う。
ほぼすべてが、徹底的に作り込まれた写真…以前のジジイの定義からするとぜんぜん違うんだけど、表現物が人の感情に働きかけるものだとしたら、これはとても傑作だ!と笑った。
そう。『浅田家』の写真集は、「つくられた」写真だった。
でもね、繰り返すけど、作られたほうが本質に近づくことがあるな…というのが、最近得た知見かなー。
女性のメイクとかだって、そーゆーことってあるんだと思う。
そうなんだ。ニノが(また)ずるい
浅田家の写真集を笑いながら書店の本棚に戻した過去があるジジイは、応援する嵐の、演技派で通じるニノが「浅田家」を演じると知り、これはちょっとプッシュしないとイカン!と思った。
で、今度はちゃんと写真集も買った。
SWICTHも買ったし、パンフも買ったよ。
そう。個人的に『浅田家!』を応援する体勢を整えて、劇中でも「疲れたヒーロー」のカットで舞台になった、いまは営業を止めてしまった「としまえん」のユナイテッド・シネマに出かけました。
ま、内容に関しては、ネタバレになるから書かない。
黒木華ちゃんとニノのラブシーンはありません!
くらいならいいかな?
あと、写真集のタイトルが『浅田家』であるのに対し、映画は『浅田家!』となってる。この意図をちょっと頭に浮かべておくとイイかもしれないね。
しかし、細かく言えないもどかしさがあるけど、ニノの「気づく」「感じる」の表現の上手さは、やっぱりさすがだわ。
また、いつのまにかニノはいなくなってて、今回なら浅田政志さんがスクリーンにいるわけです。
そうなんだよなー。家族といえば写真。そういう時代が幼いころはあった。大人になり、家族を持つようになり、まだ幼いうちはそれでも写真をたくさん撮った。が、子どもが大きくなると、写真を撮る機会も減るし、そもそも写真をプリントするという経験も今の世代は少ないんじゃないかな。プリントされた写真をまた観たくなった。
写真洗浄のボランティアも一度だけやったけど、けっこう大変だった。そのあたりも丁寧に描けていて、思い返すところもあったよ。
しかしさー!毎度泣かせるニノは、やっぱりずるい!
…撮れるよ?
カズ子さんや…最近、プリントした写真て、何枚あったかのぉ?