公式公開から一夜明けて
最近このブログを読んでくれる人が増えたので、できるだけ読み込みに時間がかからないようにしようと各種設定をさわってたら、ときどきサーバーがダウンするんよ。
原因は究明中ですが、わかったところでジジイの知識or技術レベルで対処できるかどうかは謎じゃけど。
というところで、昨日夕方の超ビッグサプライズからネットのコメントに共感し、ブログを書き、ニュースを待っておった。
(と、台風のニュースですっかりビビらされて、いろいろ準備してたら1日過ぎてしもうたが)
が、いま思うと当然なんじゃけど、ニュースはノーベル賞と台風の話題でもちきり。ジジイが観た範囲では嵐さんのことを語っている番組は見かけなかった。
つい自分の興味あることが世間と同じように錯覚してしまう。
こーゆーのは肝に銘じないといかんなぁ。
けれど、嵐さんの公式YouTube開設の衝撃は、地球の裏側まで着実に届いておるようじゃ。
開設1日を待たず100万人のチャンネル登録。来たぞー来たぞー記録!
リージョンコードと文化戦略
で、昨日(おととい?)のブログはあまりにコーフンしすぎて、書こうと思っておったことをすっかり忘却してた。
「リージョンコード」のことじゃな。
ちょっと小難しい話かもしれんが、台風で家にこもるおヒマな時間にどうぞ。
さて、このことはジジイも数年前に知ったばかりなんじゃが、これじゃ日本のアーティストがなかなか海外で評価されないわけだよなぁ…と思い知った。
だって、これまで世界では「嵐」に接する機会なんて(海賊版以外?)ほとんどなかったんじゃものな。
誤解まみれで簡単に言うと、世界の地域によってコンテンツ視聴の可否を定める基準があり、日本製のDVDはアメリカで観られなかったりする、ってことじゃ。
詳しくはリンクを読んでね。陰謀じゃなく、規格でそうなってるらしいので。
ということは、つまり世界のファンは、嵐に触れるチャンスがなかなかなかった、ってことなんじゃなかろうか。なかが多いな。
では、逆を考えると、なんで日本では「洋画」や「洋楽」が盛んなのか?という疑問も湧くわな。
これは戦後アメリカが積極的に文化戦略を日本に適応した結果と考えられる。
文化は人間の行動を規定するため、特定の文化が支配的になると、衣食住に関わるものすべてが、その文化が生み出したものによって支配される。そのため文化をまず輸出して、続いて企業が商品を輸出する方法をとる。国家のブランディングのために文化を使うモデルを作ったのが、アメリカ映画の文化侵略を批判し続けているフランスである。
表現のビジネス -コンテント制作論- 浜野保樹/東京大学出版会
戦時中、「鬼畜米英!」と叫んでいた日本人が、戦後いきなり「ギブ・ミー・チョコレート!」となったのは、こういった事情があったのかもしれない。生まれてないのでわからんが、イヤな言い方をすれば餌付けされたのじゃろう。アメリカはソ連(現ロシア)と日本の支配権を争っていたので、今となればそれでよかった気もするな。
で、アメリカ文化に対する憧れが日本国内で醸成され、一定のマーケットもできた。それで音楽にせよ映画にせよ(食や衣料も)アメリカの製品を日本で売る代理店が生まれることになったわけじゃな。
だから、アメリカ(およびアメリカを経由した)コンテンツは、日本で簡単に手に入るんじゃな。
逆に、日本のコンテンツ、たとえばジブリ作品とかは、ディズニー経由だったりするみたいだし。
そのうえ、日本の文化が海外に認知されたのは、アメリカとかフランスと違って偶然に近い出来事だったらしい。
日本のアニメは安かった?
いまでこそ日本の漫画やアニメは世界的に強い影響力を持っているが、そもそもは低予算に苦慮した手塚治虫が「発明」した手法に端を発しているらしい。
当時アニメーションと言えばディズニーで、手塚治虫もディズニーに心酔していた。
『銀河鉄道999』などで有名な松本零士氏は
手塚さんと石ノ森(章太郎)氏と私で、「日本3大アニメマニア」と名乗っていたものです。
と語っている(直接聞いた)。
そして日本でもテレビが普及し、手塚のもとにアニメ制作の依頼があったが、予算がどうにも少ない。
なので、ディズニーのように大量のセル画を描いてリアルな動きを見せることを諦め、できるだけ少ない工程で物語を成立させるためにさまざまな手法を開発したとされる。
あとに続いた日本製アニメも神様手塚の基準を超えるわけにもいかず安い金額で制作されたので、子供向けの番組を求めていた海外のテレビ局が放映権を買いやすかったと言われておる。
つまり、たまたまだった、というのが定説のようじゃ。
それが結果として多くの日本びいきを育てたのだから不思議なものじゃな。
はじめまして世界のみなさん
ずいぶん遠回りしたけど、いよいよ嵐のYouTube公式の件ね。
これまで、ジャニーズがネットに消極的だったのは「著作権」が理由だと囁かれておるな。
ちなみに、著作権ってのは、基本は再現性ということじゃったと思う。その昔、レコードやラジオが発明されて、アーティストがその場にいなくても演奏を聴くことができるようになった。アーティストにとっては機会損失とも言えるわけで、録音物を流す分カネは払えよな?と。
デジタル技術が発達してからは違法ダウンロードとかも随分問題になっておったし。
ただでさえテレビやDVDとかの映像が(悪気のない場合が多いかとも思うが)違法アップロードされておったし。
それが、ここに来て、よりによって嵐が、YouTube公式チャンネルを開設?
前回書いたブログに思いの丈を綴ったつもりじゃが、ああ、ようやく日本…てか日本を代表する嵐が先陣となって、海外マーケットを攻略しにかかるんだなぁ!とジジイは身震いしたのじゃ。
放置しておくと無制限に流入してくるコンテントを制限するために輸入量を制限するのが「割り当て制」あるいは「クオータ制(quota system)」である。映画や放送でよくもちいられており、先進諸国では日本のようにまったく制限がない国のほうが珍しい。
韓国の映画館では、一年のうち最低でも146日は自国映画を上映しなければならない。EUは1989年「辺境なきテレビ(Television Without Frontier)」という指令によって、EU諸国の放送時間の50%以上をEU諸国の番組にあてるという努力目標を定めた。努力目標では手ぬるいとするフランス政府は、フランスの放送の60%以上をEUの番組、40%以上を自国の番組とすることを義務化している。表現のビジネス -コンテント制作論- 浜野保樹/東京大学出版会
文中の「コンテント」というのはコンテンツの意味じゃな。15年以上前のちょっと古い資料じゃが、おそらく現在もそう変わっておらん。
つまり、日本は受け入れるだけ受け入れてきたと。けれど、日本の誇るエンターテインメントを、ちゃんと“意図的に”発信するのがニガテだったんじゃろうな。
日本は、“和洋折衷”とか“和魂洋才”とか、海外のものをうまく取り入れる才に長けた人種とされてきた。
けど、アニメやマンガで示されたように、日本人のクリエイティビティはもっと世界に問えるものじゃないの?とジジイは思うんじゃ。
そこで、この嵐YouTube公式チャンネルじゃ。無料で消費されるリスクはもちろんある。が、それ以上に、DVDなどのパッケージソフトが展開しにくい海外に対し、“ARASHI”の存在を知らしめ、ファン化させるには、これが必要なのじゃ。日本最高級のコンテンツが、ようやく世界の目に触れるわけじゃ!
いつまでも“SUKIYAKI”じゃないぞ!
そんで、マジでマラカナンとかウェンブリーとかカンプ・ノウとか、海外の巨大スタジアムでMJ様の演出によるステージが展開されたら…感無量じゃのう!
そして、嵐が切り開いたこの道が、世界に「ジャニーズ・エンターテインメント!」をはじめとする日の丸エンタメを届ける流れにつながれば!と切に思う。
未曾有の台風が上陸するという2019年10月12日の日本、同時に日本発のARASHIが世界中に驚きを巻き起こすぞ!