ブログは書けないしお盆休みだし
Google様からメールが来て、「ここを設定したらよりよいぞ」ということだったので、そのようにしたつもりだったのじゃが、初級者によくある話として致命的にスルーしていたり勘違いしていたりしていた部分があったようで…で神の怒り?を買ったのか、ここ1週間くらいブログをいじることができんじゃった。
書かれていたとおりに設定したつもりだったんじゃがなぁ…。
まだ、人間の不確かな部分に、テクノロジーは追いついてきてないのぉ…。なんて、少し前から考えれば、いかに自分勝手なのか?という思いも浮かんだのじゃが、そう考えさせるのもテクノロジーの進歩じゃな。
というわけで、Google様からの公式コメントとしては「24〜72時間ほど待たれよ」ということじゃったので、そのまま待つことにしたのじゃが、サーバー会社に電話したら、なんとか回復することができたっぽい。
めでたしめでたし。っぽい。
じゃが、まぁお盆期間でもあったし、ちょっと季節に浸っていようかな、というのもあったので、べつに焦ってはおらんじゃった。
この時期、ジジイはなるべく「戦争を思う」ことにしているし、ニュースキャスターの櫻井翔ちゃんは、なんか語ってくれるんじゃろうなーというのもあったし。
「どこにいるんだろう?」
翔ちゃんはまじめな人だから、アイドルとしての自分が、どのようにキャスターという立ち位置を活かして、世の中の課題を伝えていくか…は考えてると思う。
(いわずもがなじゃが、元超超超高級官僚の父とまっすぐ対峙したい…という思いもあるとは思う)
で、アイドルでありながらニュースを伝えるキャスター(ツイッターで“ジャーナリスト”とか書いたがそれは荷物を背負わせすぎじゃった)としての自分が定期的にやってくるのじゃが、注目されているぶんスタジオで原稿を読むだけではない「生の取材力」が問われることも多い。
ゴルバチョフにネタ帳を閉じられたことは大きかったんじゃないか?
取材って、ジジイも請け負うことがあるが、けっこーキツイぞ。事前準備も必要だし、でないと現場で質問ができないし、そもそも何を聞いたらいいのかすらわかんなかったりするからのぉ。さらに、ちゃんと相手が話に乗ってきてたくさん喋ってくれないと、面白いニュースにはならんから、キャッチボールの技術が必要で箇条書きでは対応できないんじゃ。キャスター、バカにすんなよ?
それはいみじくも上毛新聞の重役だった櫻井三男おじいさんの血を引いているのかなぁ!と思ったりもするし、そこは翔ちゃんも大きく意識していると思う。
おじいちゃんも以前取材したパプア・ニューギニアの遺骨収集に翔ちゃんも取り組んでいたし。
「どこにいるんだろう?」
ある、ではなく、いる。
そう発した翔ちゃんの言葉には、たんなるアイドルの好感度上げロケではない感じがあったのを思い出すな。
あなたが戦争の引き金になるかも
多少めんどくさーって家族にすら感じられている気もするお盆前後のジジイじゃが、やっぱしこの時期に戦争のことはスルーしちゃいかんと思うんじゃよ。
ジジイのところは祖父がリアル英霊(この言い方もどうかとは思う…てか国家が「英霊」というネーミングをしたってところががが)なのだけど、それでも20代後半に子どもが生まれる前はまったく意識してなかった。
なんか暗いカンジだし…みたいな。
まぁ高度成長期からバブルに向かう時代に育ったので、余計に社会に戦争の気配を消したい感じはあったのかもしれん。
でも、年をとってくると、ああ、人間ていつでも戦争の準備を始めるんだなぁ、と思い知ったりする。
自分の子とか、孫(まだいないけど)とか、巻き込まれるような世の中にはなってほしくないと思うし、これだけ情報がある時代なんだから、昔の事例くらい知っとけよ!と強く思う。
実際、戦争の終わり方について語られることが多いから「悲惨」というイメージが強いけど、始まるときは民衆が後押ししたんだからね。「もっとやれ」「もっとやれ」と。その気分をメディアが後押しし、世間に受けるために負けているのに「勝った!」「勝った!」と。
太宰治とか、高村光太郎とか、高名な人も「すげーテンション上がった!(意訳)」みたいなこと言ってるからね。
皇居前広場には続々と人が集まり、喜びの声をあげた。東京のビルの屋上からは「屠れ!米英われらの敵だ」「進め!一億火の玉だ」の垂れ幕が下がった。日本中が「万歳!」の歓呼で沸き返った。
この日の日本人の興奮と歓喜は、作家・詩人など知識人の文章に表されている。
【伊藤整】「身体の奥底から一挙に自分が新しいものになったような感動を受けた。(略)ああこれでいい、これで大丈夫だ、もう決まったのだ、と安堵の念の沸くのを覚えた」(「十二月八日の記録」)
【高村光太郎】「世界は一新せられた。時代はたった今大きく区切られた。昨日は遠い昔のようである。(略)私は不覚にも落涙した」(「十二月八日の記」)
【火野葦平】「神々が東亜の空へ進軍してゆく姿がまざまざと頭のなかに浮かんで来た。(略)私はラジオの前で涙ぐんで、しばらく動くことも出来なかった」(「全九州文化協議会報告文」)
【長与善郎】「生きているうちにまだこんな嬉しい、こんな痛快な、こんなめでたい目に遭えるとは思わなかった」(「今時戦争とその文化的意義」)
【太宰治】 「日本も、けさから、ちがう日本になったのだ。(略)目色、毛色が違うという事が、之程までに敵愾心を起こさせるものか。滅茶苦茶に、ぶん殴りたい」(「十二月八日」)
※日本経済新聞に2014/1/12に掲載された記事『熱風の日本史 大戦果、日本中が熱狂 第20回 12月8日の「青空」(昭和) 「世界は一新」「ペルリへの復讐」』が引用元です。
いま、この現在も、あるでしょ。ヤバい気配が、ところどころに。
アイドルが語ってほしい戦争
だからこそ、と思うが、翔ちゃんがキャスターやってるのは意味があると思うんだす。
正直、アイドルはアイドル一本でやっていったほうがラクだと思うよ。
けど、たぶん翔ちゃんの知性や出自等がそれを許さないし、アイドルの寿命も伸びたからキラキラ+αが求められている時代だろうし、そこでジャーナリズム方面に足を踏み出したんじゃろうな(当初はまわりの力に押されてだったじゃろうけど)。
で、アイドルとして売れて、祖父の仕事とシンクロしてしまう、という意外かつ運命的な展開。
パプア・ニューギニアでの遺骨収集を見て、いつも泣かない?泣けない?翔ちゃんの涙が止まらなかったという2013年の24時間テレビ。
池上さんとの戦後70年の番組でも祖父の仕事をトレースしておった。
ZEROでも、以前たしか沖縄の遺骨収集をしておった。
来年、嵐としての活動休止の年に、終戦75周年が来る(そしてオリンピック/パラリンピックも来る)。
翔ちゃんはどんな折り目をつけるんじゃろうな。
そして、嵐を推しているみなさんは、そんな翔ちゃんの気持ちを慮って、身近な人に戦争のことを伝えていってほしいと思うんだす。
経験者じゃなくても、できることはあるはず。翔ちゃんは、そう思っているはずじゃから。
アイドルとしての自分が語ることで、広げられる。そう思っているはずじゃから。
なぁ、ショウ子さんや、そろそろお盆の連休も終わるのぉ…。
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