スッキリしない!の件
番組は観てなかったけど、ツイッターのTLがワサワサしてたので、それをベースに急遽ブログを書き始めた。
そもそも加藤氏に対してはどちらかというとまん中より若干ネガティブなイメージがあって。
むかし観たサッカー番組で、お目当ての選手が急遽来なくなったことでスタッフを罵倒してたとか。
最近も某事件で啖呵を切ったはいいけど、それ結局収めたの?どうなったの?ってのが聞こえてこないとか(これはマスコミが報じてないorジジイの接するニュースソースに紹介されてない可能性もあるけど)。
そんな先入観もあって今回の騒動なので、あいつはやっぱり!と思ってしまっていた。
が、いちおう検証してみるべく動画を探して、観た。
しかし、ジジイの観たところ、加藤氏はとくに具体的な賛否を表してないように見えた。
が、コメンテーターのモーリー・ロバートソン氏、この人は非常に博学なので、ジジイはちょっとリスペクトしていたんだけど、彼のコメントと、『スッキリ』制作スタッフの意識の乖離が問題であるように見えた。
というわけで、せっかく途中まで書いたブログを、イチから書き直す羽目になった…トホホ。
歴史ある天皇家に対して浅はかではないか?
ジジイが気になったのは、モーリー氏の発言だった。
ざっくり言うと、
「こういう(歴史ある日本の皇室に対するおごそかであるべき)行事で、人気を当てにしてポップスの歌手を呼ぶのは浅はかなのではないか?」
意訳だけど、そんな感じで。
スッキリでの発言者は私なので私に言ってください。まず論点として「嵐」や「嵐」の音楽性を批判しているのではありません。即位式典をアイドルの動員力で盛り上げるという構図への違和感を述べました。国民との距離感を縮める演出に安直さ、浅さを感じているわけです。お含みおきいただければ。 https://t.co/T2gNndFQAX
— モーリー・ロバートソン (@gjmorley) September 26, 2019
で、まぁいろいろ読んでみて思ったのは、口が滑っちゃったなーという感じと、モーリー氏もツイートでその可能性に言及してる感じだけど、潜在意識の中で「文化や芸術・芸能に序列を付けてる」かもしれないところ。
まず、「ポップスはどうか」という発言に関しては、ツイッターで「YOSHIKIやエグザイルや三浦大知はよくて嵐はダメなのか?それはジャニーズだからだろ!」的なからみがあるみたいだけど、そうじゃなくて、そもそも主催者サイド(これは天皇のための…ってなってるけど民間主導の祝典だからね)の意識について語ってると思う。
つまりYOSHIKIやエグザイルや三浦大知も含めて疑問を呈してるんだろう。
たしかに会見で総合演出の黛りんたろう氏にマスコミが嵐のキャスティング理由を尋ねたときも、非常にあいまいな返答だなーとジジイも思った。
「天皇も代替わりし、より国民に近い若々しい皇室であることをみなさんと共有したいので」
程度のことでも言えたらよかったのに、と感じてた。
(しかしそう言うと「ではYOSHIKIやエグザイルや三浦大知は現上皇様のお祝いの席にふさわしかったのか?」と突っ込まれたら返せないなぁジジイには)
(「国民に」という意味で言えば、上記のアーティストより、「国民行事」として位置づけられている紅白の司会やトリを飾っている嵐のほうがふさわしいという理屈になるけど)
まぁ真意はモーリー氏が弁明のツイートを連投しているので、上のリンクから確認してくだされ。
くれぐれも誰かのツイートだけを鵜呑みにして日テレおよび多方面にクレームつけないほうがいいんじゃないかなーと思う。嵐(さらにジャニーズ)ファンは…と疎んじられ最終的に彼らに迷惑を掛ける可能性もあるので(仮に突撃するにせよ言葉遣いは大切だと思う)。
「ポップスはせいぜい聴かれて30年」ん?
で、ジジイがいちばん気になったのが、そのままの言葉じゃないが見出しにあるように「長い歴史のある皇室に対して流行にすぎないポップスはいかがなものか(これも意訳)」という点じゃ。
ん?てことは、モーリーさんはビートルズもエルビスも否定してるの?ということ。
ソングライティングをしたかしないか?で言えば、テンプテーションズというアメリカのモータウンサウンドを代表するアーティストが歌った嵐さんと同名異曲の『マイ・ガール』は、他の人が書いた曲だし50年残ってます。そんなアーティストは嵐に限らず世界的にたくさんいるし、楽曲として定着させるのは「歌い手」だからね。
そんなことは揚げ足を取られなくても音楽に詳しいモーリー氏が知らないはずはない。
おそらく主催側に対して言いたい気持ちにブレーキがかかって変な方向にハンドルが向いたのか…。
もしくはカルチュラル・レイシズムというか…そう表現するジジイにも潜在的にあるんだろうなーと思うけど、文化的人種差別感じゃ。
きのうアップしたニノに関するブログで、ニノ自身が
(世の中の男から)ジャニーズってダセェよな、とバカにされながら仕事しているのが面白い。
という部分に接しているのではないか?と思う。
で、モーリー氏自身も、そのあたりは
自分の無意識の奥底で芸術、芸能の序列や職業の貴賎を認識しているのかどうか…無意識である以上、なかなか確認できない状態です。伊福部昭や武満徹は好きですけどね。 https://t.co/ozwTWUMlI4
— モーリー・ロバートソン (@gjmorley) September 26, 2019
とビミョーに否定はしていない(もちろん肯定もしていない)。
モーリー氏の肩を持つわけじゃないけど、『ニノさん』とかにも出演してるし、嵐のこと敵視しているわけじゃないとは思うよ。
嵐はすでにアイドルではない?
というところで、我田引水でお恥ずかしいが、
嵐が旧来の「アイドル」ではなく、何か新しい偶像になっている。
のを、ファン以外の世間のCPUでは、まだうまく処理が追いついてない状態なんだろうな。
— アラジイ (@arazii_jp) September 26, 2019
という謎掛けみたいなところに意識が行ってしまうのじゃが。
ジジイが思うに、昔ながらの「アイドル」…若くてキャーキャー言われて消費される…というのとは、ちょっとフェーズが違ってきているんじゃないか?と思うんじゃな。
「偶像」って書いたけど、もしかしたら「概念」かもしれん。
ともかく、いまのところ、「以前はアイドルと定義されていた」存在が、嵐によって大きく変わってきているのかもしれん。
ジジイみたいに、ジジイなのに嵐の活動を真剣に応援しているような変な存在もいるし。
ところが、その状態を表す的確な定義=名前がないので、どう扱っていいのかわからない部分もある。
あとの時代になって、どこかのイカした学者や、もしかしたら上手なコピーライターとかが、ステキなネーミングをつけるかもしれん。
で、100年後とか、苔のむすころになって、そういう存在の草分けとして嵐が語られるのかもしれん。
まぁ、それにしても、「穴場情報」は番組制作スタッフの浅はかさじゃなぁ…。それを指摘する嵐ファンの声が多かったことは、とても誇らしいし、もっと知ってほしいと思うぞ。
あー。というわけでまた朝じゃ。やるつもりだった作業にぜんぜん手を付けておらんから、これから30分くらいはやるぞ。湯のみは明日じゃ! 諦めてるのじゃ!いい意味で!(謎)