ついバイバイしてしまう人へ
『相葉マナブ』エンディングで相葉ちゃんが
バイバ~イ!
ってする際、つい一緒に手を振ってしまう、さらには
バイバ~イ!
って声に出してしまう人のための、「相葉マナブのエンディングに相葉ちゃんに応えてバイバイしてしまう人の会」をこっそりつくりました。
会員資格は、
1.相葉マナブを楽しく視聴している。
2.相葉ちゃんを好ましく思っている。
3.渡部や澤部にすらも好感を抱いている。
4.エンディングの相葉ちゃんに呼応して手を振ってしまう。
5.その際、つい笑顔になってしまう。
6.その行為は「パブロフの犬」的な条件反射なので本人に意識はない。
ということろ。
ちなみに会の活動は日曜日の6時半ごろにこっそり行うこととし、会長ほか組織は置かず、ひたすら個人の自由活動であり、入退会は各自の心の中で行い報告はあえてしない…という感じですかね。
新しい釜飯の企画を練るとか農家の嫁に行くとかは個人の活動として自由に行なえます。
人のよさの鬼
まぁそれはそうと、『相葉マナブ』等で見せる相葉ちゃんのフレンドリーさ、ゲストに気を使わせないで素を引き出すうまさは、これは天性のものなんだろうけど、その天性はどこから来たのかと。
これはたぶん「実家がお店を営んでいる」からなんだろうと思う。
ジジイもその昔、世話になってたアートディレクターのおっちゃんから、
お前の気遣いはどこから来てるのか考えた。
と急に真顔で褒められているのかなんなのかわかんないことを言われたことがあった。
別に自慢するほどなにができるわけじゃないが、ある部分、性分として身についてしまっているというのはあるし、おなじ匂いを相葉ちゃんにも感じる。
まぁ、つまり、幼いころから「お客さん」と関わってきたからだなぁ、と。
相葉ちゃんの実家は中華料理店であることは有名だ。ジジイの実家も美容院をやっていたので、家に帰るとお客さんがいたもんだ。
それは「サービス業養成ギプス」…かなり例えが古いな…みたいなもんで、お客さんにいい気持ちでいてもらうよう、子どもながらに気を使ったりする習慣が幼いころから身についたわけだ。
親にしつけられたわけでもなく、なんとなく、そうすべきだろう…という感じがあったような気がする。
相葉ちゃんの人のよさも、環境に育てられたんじゃないかな。
サービス業を必修に
他人に接する。場合によっては、コチラをあんまりよく思ってないような相手にも接しておく、という体験は重要だと思うんじゃ。
ジジイは高校生のころ、駅に併設されたラーメン屋を皮切りに、小遣い稼ぎのバイトをかなりやった。優秀なバイト君ではなかったが、かなりサービス業による学びの必要を思ってもいた。
ところが、当時のクラスメイト(男子)が
水商売のバイトは親がやっちゃいけないと
とか言ってて、なに言ってんの?と思った。
当時、いわゆるサラリーマン家系には、サービス業…とくに水を扱う仕事を下に見る人は少なくなかった。
水商売といってもスタバの店員も銀座の高級クラブのホステスも「水商売」なのだが、昭和って時代は今よりナゾの階級意識?が高かったんじゃな。
水商売は地位の低い人間のすること、みたいな。
まぁしかし、水商売に限らずとも、サービス業を高校・大学の必修科目にすべし!と今でも思ってるし、今のほうがより強く感じておる。
だって、「近所づきあい」が崩壊した現代、家でぬくぬく育って、ソトの干渉も受けず、学校もコンプラとかパワハラ&モラハラとかで大変で、そこからいきなり理不尽かつ不条理な社会に出るリスクですよ。
いまは働き方改革とかブラック企業とかいう単語が市民権を得ているのでずいぶん変わったと思うが、社会は国語算数理科社会英語で解決できるほどカンタンじゃない(ってこの科目の境界も一変チャラにする必要があるんじゃろうな)。
あ、また理屈っぽい話が長引いた。だって夜が明けたら…フラゲのクリップ集が届くかもしれんのじゃ!
しかしジジイは打ち合わせで出かけなければならんのじゃが…。とっとと終わらせて早く帰ってくるぞ!
おおーい、マサ子さんも、仕事の手を休めていっしょに観ような!