スペシャルが追悼番組になってしまった
思いのほか引きずっている。
ブログの更新も、ちょっと間が空いてしまった。
先日の、追悼番組になってしまった『天才!志村どうぶつ園』2時間スペシャルも、複雑な気持ちで19時を待った。
どうするんだろう。スパッと状況と演者やスタッフの気持ちだけ述べて、
志村園長も、楽しく番組を進めてほしいと思っているはずです!
と進行するか、もしくは………。
結果としては、後者の「もしくは」のほうだった。
無理もないし、すでに固まっていたはずの2時間スペシャルのための進行を急遽いちからやり直したであろうことも、スタッフ全員の総意なんだろうな、と思った。
なかったことにするような、取り繕った狂騒は似合わないし、世間も納得しなかっただろう。
なにより志村園長に失礼だ。
思い起こしてみると、やっぱり志村園長あっての番組だったんだな。
いつもの相葉ちゃんと違う、こみ上げる表情を見ていたこちらもツラかったが、ちゃんと園長に対し、視聴者も一緒に想いを送ることができたのは、とってもよかったと思う。
パンくんとのやり取りは、まさに泣き笑いで…キツかったなぁ!
志村ロスの正体(ジジイにとって)
ネットでも、ジジイと同じような、必ずしも
志村ぁ!うしろ!うしろ!
と叫んでこなかった世代、先に卒業した世代が、志村さんの急逝に深いダメージを食らっているのだった。
ジジイも、仕事としてやることはあったが、なーんか心の底に沈んだものを掘り出さないと先に進めない気がして、AppleMusicでドリフの曲を聞き、
『8時だョ!全員集合』のアーカイブをAmazonプライムで観たりしてた。
こういう、ちょっと観たいな…ってときは、サブスクって便利だね。
アイドルの子だったかが、志村さん急逝の喪失感を
面白い親戚のおじさんが亡くなったような
とその親近感を評していた。
が、ジジイたちの世代とは、ちょっと違うような気がして、ずっと考えていたんだが、
少年だった自分との別れ…
のような気がしているんだろう、と思う。
いまでは考えられないことだが、当時の小学生の、少なくとも男子のほとんどは、土曜の夜8時にテレビを6チャンネルに合わせて全員集合していた。
ほぼ全員だ。脚色ではない。
いまのように選択肢が多くない時代ということもあって、ドリフは圧倒的な存在だった。
視聴率的にもモンスターと言われたが、中には「モノを粗末にする」という意識高いニューファミリー系(単語が古い)の家庭だったり、そもそもNHK以外はテレビと見なさないような終戦直後の老人世帯のような未視聴世帯も少なくなかった。
ということは、子供のいる世帯は、ほぼドリフを見ていたんだと思う。
そんな中、ジジイの時代、月曜日に登校して話題になったのは、土曜日の「カトちゃん」のギャグだった。
のだが、のちに「志村けん」が登場して、下級生の話題をかっさらった。集団登校で低学年の男子は、青バナを垂らし、袖をカピカピさせ、東村山音頭を歌っていた。
なんか思い出語りで恐縮なんだけど、とにかく、今では想像できないほどの影響力だったのよ。
しかし、栄枯盛衰、ジジイたち世代の人気は『オレたちひょうきん族』に移ってしまう。ドリフの…というか、(おそらく)いかりや長介氏の笑いのもっていき方が古臭く感じるようになったんだろうな。
相葉ちゃんに受け継がれたもの
つい自分語りが長くなってしまう。
志村園長追悼(という言い方にまだ慣れない)2時間スペシャルで、相葉ちゃんが決意を語ってくれたね。
自分で語りたいんです。と、スタッフに言ったんだと思う。
エピソードの中で、(他の嵐メンバーに較べ)なかなかドラマのオファーがなくて悩んでいた相葉ちゃんに対する言葉にグッと来た。
ほんとうに、もっと一緒にいたかっただろうな。
でも、悲しみを乗り越えて、自分で背負っていかなければ!と意を決していると思う。
責任感の強い相葉ちゃんだからこそ、背負い込みすぎないように気をつけてほしい、と思う。
気持ちの優しさを見込んで、志村園長は相葉ちゃんに託したんだと思うよ。外野はやれ「ジャニーズに忖度だ」とか言いそうだけど、嵐ファンや相葉ちゃん推しじゃなくても、後継者は相葉ちゃんだと思っているはずだ。
相葉ちゃん、がんばりすぎないで、がんばれ。
でも、一緒に泣きたいよ…。
マサ子さんや…喪失感が日を増すごとに大きくなるような人になりたいもんじゃのぉ…。
この追悼マンガ…レベル高くて泣ける。長さんも志村も若くなっていくんだよ。荒井もいるよ。同時代を生きた者としてはたまんない…。(´;ω;`)ブワッ