いまさら気づきました…
ジジイは、下の方に関連リンクを貼る予定だけど、ずーーーーーーーっとMJ様のアクターとしての類まれなるスター性を主張してきた。
もちろんシンガーやタレントとしても語りたい部分は多々あるが、まずはアクターの部分。
そこが、世の中に対して十分にプレゼンできてると思えてないからじゃ。
で、いろんな言い方で、駄文を書き連ねてはモンモンとしてきたわけじゃが、2019年9月28日(つまり先日)放送の『嵐にしやがれ3時間スペシャル』で、あ、これじゃった…と。
ジジイの主張は、かんたんに言うと、
「This is MJ」をドラマとか映画にしろよオォォォォォォイ!
てなことなわけじゃった。
それに、書いている本人が気づいておらんかった…いや、気づいてた投稿もあったけど、ちゃんと結びついていなかった…orz(この表現、最近あんまり見ないけどな)。
こんなカンタンなことを言いたくて、何度も夜中にパソコンのキーボードを叩いていたわけじゃ。今夜もじゃけど。
自分に克つことでセクシーを得た
『嵐にしやがれ3時間スペシャル』で、大人になるにつれて自意識が高まりイジリがつらくなってきた…的なことを告白しておったなMJ様。
嵐結成当初は自ら「お笑い担当」と称していたが、
”あるとき急に触れるなオーラを出し始めた”(説:意訳)
そこは、子どもから大人へ歩み始めた男の子の多くが、通っていく典型的な道程じゃなぁ…(遠い目)。
ジジイに言わせりゃ、たぶんあんたも同じじゃろうよ翔ちゃんや!(仮名)と言いたいくらいじゃ。
ふたりは、なんか似ておるからのぉ。
「カッコイイ男」のロールモデルを見つけ、そこと現実の自分(の精神状態)とのギャップに悩み、ヘタレを克服しようと…いまのMJ様からヘタレの過去は想像できないが、己に克とうと頑張ったんじゃろう。
あえて漢字で書いたけど、つまり、頑なに(気を)張ったと思えて。それほど周囲にピリピリするオーラを出していたんだろう。
でも、30代なかばを越えて、「ちょっと緩める」ことも覚えた。
かのローリングストーンズは、楽器のチューニングをバチバチに決めたあと、「ちょっと緩める」らしい。
敬愛する糸井重里さんの本で読んだ。
(氏の作詞による沢田研二師匠の『恋のバッドチューニング』で表現されておる)
その余裕を得た結果だと思うが、いまの気が遠くなるほどのカッコよさと、ヘタレだった自分を認める潔さ、それを超越して一瞬見せるカワイさは、男として最高のセクシーさじゃないか?
○泉○次郎さんよりも、ずっとずっと!
キザとコメディの両立
ジジイは、断片的な情報から、ざっくりとした想像はしておった。それで松田優作的ポジションを推奨しておったわけじゃが、しやがれスペシャルで確信に確信を重ねた。
やっぱ、「This is MJ」のドラマ化・映画化を進めるべきじゃ。
(追記)ここでTwitterにイキオイで書いてしまった「企画書」、ペライチだけどPDFをアップ!
MJ伝説キャラをみたいな。
これ、とりあえずフリーにしておくので、みんなで好きにダウンロードしてどんどんシェアしたら、もしかしたら日テレのエラい人の目に止まるかもしれんぞー。
ついでじゃが、ジジイがずっとモデルケースとして言い続けて、「This is MJ」自体もおそらく下敷きにしているであろう『探偵物語』も、日テレのドラマじゃから、理由はあるよな。
とにかく、MJ様の当たり役をはよ!って感じなんじゃ。ジョニー・デップにおけるジャック・スパロウとか、シルベスター・スタローンのロッキーとか、勝新の座頭市とか!(古い?)
あまりにも想像しすぎて鼻血が出そうじゃが、いま、日本の80年代シティポップが海外で注目されてるというけど、それと同じ文脈…和洋折衷?和魂洋才?って感じはなんか行ける気がするんじゃが。
ということで、日テレさん!責任とって「This is MJ」を昇華させるかたちで考えてくれんかのぉ!
ジュン子さんもそう思ってるよなぁ!